2010年9月11日。準天頂衛星初号機「みちびき」は天空高く打ち上げられ、その後、無事に所定の軌道に乗りました。準天頂衛星システム(以下QZSS)の完成に向けて、まずは順調な第一歩を踏み出したわけです。
しかし、プロジェクトがスタートしたおよそ8年前から今までには、多くのハードルがありました。プロジェクトチームは、苦闘しながらも個々がプロフェッショナルなスキルを発揮し、一丸となって乗り越えてきました。
「みちびく人々」の最終回は、そんな「みちびき」の開発に心血を注いだJAXAのエンジニアたちの物語です。ここだけのエピソード続出の座談会形式のインタビューを、どうぞお楽しみください!
Section 1
―― まずはそれぞれに、何にみちびかれてJAXAで宇宙開発に携わるようになったのか、また、QZSSプロジェクトでの役割について聞きたいと思います。では、明神さんから聞きましょうか。
明神:高校生のときに若田光一宇宙飛行士が宇宙に行くのをニュースで見たり、ベストセラー『ホーキング、宇宙を語る』を読んだりして、宇宙に興味を持ったのがそもそもの始まりです。高校卒業後は大学の航空工学科に進学しました。さらに、「日本宇宙少年団」(※1)にリーダー(団員の子供たちの指導役)として参加するようになり、スペースキャンプというイベントで種子島宇宙センターを見学した際に、初めてNASDA(※2)の職員に会いました。それまで宇宙の仕事に携わる人たちは遠い存在でしたが、そのとき一気に身近に感じるようになりましたね。そして、私も一緒に働ければいいなと。それが直接的なきっかけとなり、NASDAに入社しました。
※1 日本宇宙少年団:正式名称は財団法人日本宇宙少年団。子どもたちを対象に宇宙と科学に関する教育や国際交流などを実施。主な活動は水ロケットの製作・打ち上げ、宇宙関連施設見学など。
※2 NASDA:宇宙開発事業団。JAXAの前身の一つ
―― 若田さんやホーキング博士、JAXAの職員に導かれたわけですね。では現在の明神さんのQZSSプロジェクトでの役割は?
明神:私が主に担当しているのはみちびきの熱制御系です。宇宙では太陽光の当たり具合によって、寒くなったり、暑くなったりと大きな温度変化があります。そのような環境の中で人工衛星に搭載された機器の温度を適切に管理するのが熱制御系の主な役割です。難しいのは、機器にはそれぞれ固有の温度条件があるということ。例えば、ある機器は-30℃~+60℃という範囲で管理しますが、測位信号の要となる原子時計は20℃±5℃という非常に狭い範囲での管理が必要となります。そうした条件の異なる全機器の要求を満たすように、制御することが求められるのです。
―― 地上から遠く離れた宇宙空間の人工衛星の温度を管理するのは至難の業です。どのように管理するのですか?
明神:季節によって強度が異なる太陽光の最高温度と最低温度、素材ごとに違う放熱係数、素材の劣化による影響など、あらゆることを計算に入れて予測温度を割り出し、それが各機器固有の温度条件の範囲内に収まるように設計します。例えば、熱制御材を使用したり、ヒーターを搭載して冷えたときには自動的に稼動するように設定します。また、宇宙環境を模擬した真空の特殊な試験設備で、非常に寒かったり逆に暑かったりなど、様々な最悪の環境を作り出して、実際に制御できるかどうかの試験を繰り返し、必要に応じて設計を変更・調整します。こうやって、宇宙空間でも、人工衛星自らが自動的に温度を制御できる状態にしていきます。
寺田:私たちは熱制御系を担当する人たちを「熱屋さん」と呼んでいます。熱屋さんは、まずシステム設計の最初の段階で、コンポーネント(機器)に対して温度条件に関する色々な要求を出します。でも、その条件をコンポーネントが解決できない場合、最終的に調整して問題を解決していくのも熱屋さんです。人工衛星の開発は「熱に始まって熱に終わる」といっても過言ではないくらい、重要な役割を果たしてくれています。
―― 温度管理のポイントは?
寺田:機器が冷えたときはヒーターで自動的に暖めるのでほぼ問題ないのですが、熱くなったときに積極的に冷やす手段はなく、じっと待つしかありません。つまり、排熱は極めて受動的なわけです。ですから、いかに打ち上げ前の地上で最悪な(熱くなる)条件を想定し切って、それに対応した設計にできるが最大のポイントになります。それでも予測温度を超えてしまった場合、最後の手段として地上からコマンドを送り、機器をOFFしたり、衛星の姿勢を変えて太陽光が当たらないようにもできますが、その間は測位など衛星本来の機能が使えなくなります。
明神:打ち上げ後は、みちびきに搭載されている数百個の温度センサーからのデータを定期的に受信し、正常に制御されているか、ヒーターが自動的にしっかり稼動しているかを、地上からモニターしています。今のところ問題なく制御されていますが、今後もしっかりと監視していきますよ。
寺田:熱制御材が剥がれたり、壊れたりなどせず、最初の状態が維持されていれば、まず大丈夫ですね。ただし、過去の人工衛星で起こっている重大な不具合のほとんどが熱に起因するもの。「みどり2」という衛星が10ヶ月で運用停止になったのも、根っこは熱の問題でした。だから当然のことながら、気は抜けませんね。
―― そのほかバス側で課題となったことは?
寺田:宇宙では、衛星の構体内の真空度が充分な条件にならないと、電波を発信する高圧機器などに不具合が発生する可能性があります。そこで打ち上げ後は、あえて緩やかに密閉した構体から空気が完全に抜けるのを1ヶ月余り待つことにしました。もちろん、どれくらい時間が経てば充分な真空度になるかは、地上での真空試験を通じて知見を得ており、その予測時間が経つのを待ってから、高圧機器の電源をオンにしました。ただ、試験に基づき、確実に真空になるまで十分に時間をかけたとはいえ、やっぱり電源を入れるときはドキドキハラハラでしたよ。無事電源が入り、電波を発信できたときは正直ホッとしましたね。
Section 2
―― では、今度は岸本さんに「何にみちびかれたか」を聞きたいと思います。
岸本:4歳の頃に習っていたピアノ教室の待合室に月の図鑑がありまして、色々ある図鑑の中で、なぜかその図鑑を毎回飽きることなく見ていました。月も宇宙も美しいなと。思い返せば、その頃から宇宙に惹かれていたのだと思います。小学生になると、学研の「科学」という本がありましたが、その中でも宇宙に関するものに一番興味がありました。中学、高校のときは科学雑誌「Newton」を読んで、友達と宇宙の話をしていましたね。大学では宇宙工学ではない分野の勉強をしましたが、卒業後はやはり宇宙を使ったシステムを構築して、世の中に貢献する仕事がしたいと思って、NASDAへの入社を決めました。明神さんとは同期です。さらに、採用試験で面接官/採用担当だったのが、隣にいる寺田さんです。その寺田さんのもとでみちびきのプロジェクトに携わっていることには、不思議な縁を感じますね。こう考えると、科学系の書物と、寺田さんにみちびかれたといえるかもしれません。
―― プロジェクトでの役割は?
岸本:入社と同時にプロジェクトが立ち上がり、私は最初から開発員として携わっていますから、足掛け8年になりますね。はじめから測位ミッションを担当しています。立ち上げ当初は官民連携プロジェクトで、民間が通信と放送、JAXAが測位を担当する3つのミッションが融合したものでした。当時は民間との調整が大変だったことを思い出します。民間企業が採算の取れる規模の機器を搭載しようとすると、測位機器の置く場所がなくなったりするようなケースもあったり。また、現在の測位ミッション専用であるみちびきでは衛星の軌道制御は年2回程度、姿勢制御は平均40日に1回程度で済むのですが、通信・放送ミッションとの相乗りのときは、姿勢制御はほぼ毎日必要であるということで、しかし、それに従うと測位サービス自体ができないといった問題が浮上したり・・・。綱引きをしながら、ミッション系として守るべき最終のアウトプットをイメージしながら可能なものはときには妥協して物事を進めていくという形で、システムとしてまとめていく苦労を経験しました。
―― その後、民間は事業化を断念し、衛星の機能が測位一本となりました。官だけのプロジェクトとなり、難しい部分もあったのでは?
岸本:確かに大変でしたね。衛星も地上の追跡管制システムもまとめてJAXAが請け負うことになりました。問題の1つは、いかに限られた予算の枠に収めるかです。当初の考えを全て行うと、予算をオーバーしてしまうので、メーカーさんとも調整しながら削る努力をしていきました。例えば、打ち上げ時のロケットについてもコスト削減をしました。
―― ロケットでコスト削減ができたのですか?
岸本:当初は重量的にHⅡA-204で打つ計画でした。204の「4」はSRB(※3)が4本という意味です。それを、燃料が最も少なくて済むような軌道を解析して見出し、打上げ能力が少し小さいHⅡA-202でも打上げられるように計画を変更しました。打ち上げ地点(種子島宇宙センター)と太陽の角度は、時刻によって若干違います。また、その太陽と地球の重力との絶妙な関係で、最も軌道制御に使用する衛星の燃料が少なくてすむ軌道が分かり、その軌道に投入できる時刻にロケットを打ち上げることで、必要とされる打上げ能力を抑えました。これによりSRBは2本のみで打上げが可能になり、それだけで10億円以上のコストダウンになりました。ちなみに、その時刻とは2010年9月11日の場合は、20時17分から21時17分の間。打ち上げ時刻を20時17分にしたのには、こういった理由があったからです。打上げが1日ずれると、次の日は全体的に約4分前倒しになっていきます。
※3 SRB:固体ロケットブースタ(Solid Rocket Booster)。ロケットのうち上げ時に推力を得るために外部に設置される固体燃料式ロケットのこと。ブースタの数が増えるほど、打上げ能力が増す。
―― 衛星を軽くするのではなく、軌道に解を見出すというのは非常に新鮮です。
寺田:初号機には測位機器以外にも、いくつかの実験機器が積まれ、また2号機、3号機が上がるまで、長生きさせるために必要な推薬も搭載し、信頼性の観点からもバッテリーも2つ搭載しています。だからその分重く、減らすわけにもいきません。そんな中、燃料をエコにするためにどうすればいいか。見つけた解というのが、軌道だったわけです。
―― コスト削減の努力はほかにもありますか?
岸本:みちびきを支える地上システムの構成についても工夫しました。地上システムは、筑波宇宙センターにあるマスターコントロール局と、国内4局、海外5局、計9局のモニタ局、更には沖縄に設置した2式の追跡管制局アンテナによって成り立っています。測位システムは、地上系も非常に重要な要素です。モニタ局は予算の関係上、20局、30局と置くわけにいかないので、より少ない数で精度を得ることが出来るように場所を検討して設置しています。また、当初沖縄、勝浦、オーストラリアにそれぞれアンテナを立て追跡管制局を設置する計画だったところを、沖縄に2本のアンテナを立てることでカバーできるように工夫しています。さらに、アンテナは、送受の周波数が非常に隣接していて、従来送信用、受信用それぞれ1本で、2本必要だったものを、非常に性能の良いフィルターを製作することで1本での送受信が可能になりました。これらだけで、3ヵ所に計6本必要だったアンテナを、1ヵ所に2本にすることができ、大幅なコストダウンとなりました。
寺田:おかげでプロジェクト全体では、打ち上げが延期になって追加コストが発生したにもかかわらずなんとかコストオーバーにならずにすんでいます。今は、今後発生する衛星の利用予算の方に少しでも充当できれば、と思っています。
―― コスト以外でも力を入れたことは?
岸本:コストばかりに話がいってしまいましたが、このシステムの開発には非常に苦労しました。このプロジェクトのメンバーになったとき、最初に寺田さんに言われたのが、プロジェクトはQCDが大切だということ。つまり、クオリティ(Q)、コスト(C)、デリバリー(D)です(デリバリーはスケジュールの意味)。そして、そのバランスをどう取るかがプロジェクトの腕の見せ所だと。ただ、デリバリーの部分で自分が担当している機器が開発の難しさ、海外品の関係からやむをえず遅れることもあり、そんなときは胃がキリキリ痛みましたね(笑)。でも、時間に追われながらも、クオリティだけは妥協せずに追求しました。そこをいい加減にすると、後々不具合が起きて余計に遅れが生じると思ったからです。測位機器だけでなく、地上系との噛み合わせ、また総合システムとして試験検証を積み上げるという形で、クオリティを重視することで、全体としては結果的に最短になったのではないかとも思っています。
Section 3
―― 打ち上げ前は多忙を極めたと思いますが、打ち上げ後も忙しい日々なのでは?
寺田:結構打ち上げ直後も大変なんですよ。熱制御についてはオンボードで衛星の方が自動的に判断して対応してくれるのですが、パドルを展開するとか、姿勢を変えるとか、エンジンを吹かして軌道を変えるなど、全部地上からコマンドを打って指令を送ります。
岸本:9月11日20時17分に打ち上げられ、ロケットから衛星が分離されたのが約30分後。そのすぐ後に衛星が信号を受信してからは、私は朝までコマンドをずっと打ち続けるような作業が続きました。コマンドは手順書に従って打っていきます。手順書は300ページほどにもなる分厚いものです。とにかくひたすら打ち込んでいきましたね。
宮本:ただ、何時何分にコマンドを打つかやコマンドの内容は、すべて手順書で予め決まっているので、計画通りに実行していくだけです。もしコマンドが上手くいかなかった場合は、それに対するリカバリーのコマンドも用意されています。
寺田:例えばパドルが開かなかったときに、どういうフローでどう処置をしていくかということを予め計画しておきます。これはコンティンジェンシープラン(※4)といわれるものですね。
※4 コンティンジェンシープラン:不測の事態の発生を想定し、被害や損失を最小限に抑えるために予め定められた対策や行動手順のこと。
―― 現在、どのような体制でみちびきを運用しているのですか?
寺田:打ち上げ直後は24時間3交代シフトで運用に当たっていましたが、今は24時間2交代シフトです(8時間と16時間)。
―― 引継ぎはどのようにしていますか?
宮本:一般的な大学ノートを引継ぎノートとして使い、必要事項を書いて、次の当番に伝達しています。JAXAの衛星運用では、昔から手書きノートで引き継ぐことが定番ですね。このノートは運用が終了しても運用室にずっと保管されます。
―― 大学ノートというアナログなツールで引き継がれていることは意外でした。今後もずっとJAXAでの運用が続くのですか?
明神:打ち上げ3ヵ月後(12月中旬)には定常段階に移行し、そこから衛星の日々の運用は専門の運用業者に任せることになるので、JAXAでのシフト勤務はなくなります。もちろん、何か問題が発生すればJAXAの職員が対応しますし、衛星を使った技術実証試験は引き続き行っていきますよ。
Section 4
―― 宮本さんは何にみちびかれてJAXAで宇宙開発に携わるようになったのでしょうか?
宮本:中学生のころから天気に興味を持ち、理科の研究課題でレポートを書いたこともあります。大学では地球に関係することを勉強したいと考え、地震・火山、気象、宇宙の3分野のうち当初は地震・火山か気象のどちらかを専攻するつもりでした。でも、宇宙を教えている森岡先生の話に惹かれ、宇宙分野に進むことに決めました。
―― その先生が宇宙の世界にみちびいてくれたようですね。
宮本:そうです。研究対象は地球磁気圏で、ここはオーロラなどの現象が起きる場所です。学生時代は人工衛星のデータを活用させて研究をしていたのですが、ある日、森岡先生に「人工衛星のデータが利用できるのは衛星を運用している人たちのおかげ。衛星運用というものを勉強して少し手伝って来い」といわれまして。相模原市にある宇宙科学研究所で、コマンドを打って衛星の状態をチェックしたり、南極の昭和基地に衛星の受信計画FAXで送ったりといったことをしました。そこで、衛星の運用の楽しさを知り、NASDAに入社。運用の仕事を希望し、それ以来10年間、ずっと運用の仕事をしています。
―― 今回のみちびきでも運用を担当されていますね。主にどういったことをするのですか?
宮本:先ほども少し話が出ましたが、簡単に言えば、打上げた後の衛星の面倒を見ています。ちゃんと元気に動いているかチェックしたり、姿勢制御や軌道制御に関する指令(コマンド)を地上から打って予定通りに動かしたり、あるいは今後予定通りに動くことができそうか確認したりします。指令の計画を事前に策定し、実際に計画通りに指令を実行するという一連の運用全体を取りまとめるのが、みちびきでの私の仕事ですね。
―― 地上局の管理などもされているそうですね。
宮本:はい。しかし、これが意外な侵入者に悩まされています。実は、ヤモリが局内に設置された機器に入り込んでしまい、ショートの原因になってしまうことがあるんですよ(笑)。装置を収納している機器の扉を開けたときにするっと入りこんだり、機器の隙間やケーブルの穴から入ってくるようです。エアコンの室外機もターゲットになっていますね。先日室外機が止まっていたので、おかしいなと思って開けて中を見てみたら、黒焦げヤモリが横たわっていました・・・。
―― ヤモリですか! 対策は?
宮本:今は隙間に目張りを施しましたので、被害はなくなりました。ただ最初のころは、市販の「ゴキブリほいほい」を床に置いたこともありました。設置して1週間後くらいに見に行くと、捕獲されていましたよ。(笑)
Section 5
―― 寺田プロジェクトマネージャにも同じ質問です。宇宙開発にみちびいたものは何ですか?
寺田:宇宙に興味を持ったのは、小学校のころアポロ11号の月面着陸を見てからですよ。同じような原体験を持つ人は多いんじゃないかな。そういえば、何年か前に当時のNASDAに興味を持つ学生を集めた説明会で採用担当として話したとき、参加者に一人にこう質問されました。「アポロ11号の月面着陸はヤラセで、本当はどこかのスタジオで撮影されたという話がある。NASDAの公式見解を教えてほしい」と。もちろん、NASDAの公式見解など知りませんでしたので、その代わりにこう答えました。「私は月面に人が行ったことを信じて、宇宙に興味を持ち、宇宙開発の道を選んだ。もしあれがウソだったら、私の人生はどうなるのか。だからあれは絶対の真実だと信じている」とね。いずれにせよ、この月面着陸こそが私を宇宙開発にみちびいてくれたものです。
―― NASDA入社後はどのような歩みでしたか?
寺田:入社したのは1985年。ちょうどGCBの時代です。Gは静止気象衛星(Geostationary Meteorological Satellite)の「ひまわり」、Cは通信衛星(Communications Satellite)の「さくら」、Bは放送衛星(Broadcasting Satellite)の「ゆり」であり、それぞれが実用化され、宇宙のシステムが社会のインフラとなるのを目の当たりにしました。衛星開発がやりたくてNASDAに入社した私にとって、この実用化路線こそがまさに自分の取り組むべき仕事だと思いましたね。その後は大型の技術試験衛星「きく6号」や「きく8号」などの開発を手がけました。そして、QZSSのプロジェクトマネージャに就任したわけです。
―― プロジェクトマネージャに抜擢されたときの気持ちは?
寺田:世間には準天頂衛星の必要性について懐疑的に見る論調もあり、難しいプロジェクトだなというのが正直な気持ちでしたね。ただし、システムとしては非常に優れていると感じましたし、実用化一歩手前の衛星なので、やりがいもあるなと思いました。逆風の中でもやらなければならないと気を引き締めました。
―― プロジェクトマネージャの仕事の内容を教えてください。
寺田:プロジェクトメンバー21人の指揮官であり、技術的な責任者でもあります。人数は「きく6号」や「きく8号」のときに比べて少ないですね。さらに、従来は衛星だけの開発だったのが、今は地上系システムも含めて開発を担います。仕事が増えているのに人数は少なくなっているような状況です。そうした中、民間企業や実験機関、公的機関などの協力を得ながら、オールジャパン体制で開発や運営に取り組んでいます。
―― さまざまなバックボーンの人たちの取りまとめは難しそうですね。コツはありますか?
寺田:それは人を信頼することですよ。メーカーの方も、各機関の方々も、JAXAの職員も、とにかく全面的に信頼して仕事をお任せします。もし上手くいかないことがあっても、何度でも信頼し続ける。これがプロジェクトを回していくコツでしょうか。私は根っからの楽観主義者なので、それができるのかもしれません。
―― 信頼のもと一丸となっている印象を受ける“チーム寺田”ですが、2号機、3号機打ち上げへの目算はいかがでしょうか。
寺田:今、日本の周辺国との関係で、「国力」が話題に上り、安全保障の議論が活発になっていますよね。このような状況も、2号機、3号機開発の政策決定に影響を与えるのではないでしょうか。
―― 確かに、測位衛星は21世紀のインフラといわれ、アメリカだけでなく、欧州や中国、インド、ロシアなどがその整備を促進させています。その中で、日本が国力を考えた場合、推進するという論調がより強くなっていく可能性があります。
寺田:そうですね。以前、みちびきの必要性が疑われていたころに比べると、論調は明らかに変わってきています。日本がもし撤退してしまったら、それは時代に逆行することになると考える人も多いのではないでしょうか。
―― QZSSがアメリカのGPSを補完・補強することで、宇宙分野での日米の協力がより強化されていくというメリットもあります。
寺田:私は一時期文部科学省に出向し、アメリカから宇宙関連機器を輸入するための調整に当たったことがあります。そのとき宇宙開発や安全保障で日米の信頼関係や協力関係がいかに強いかを実感しました。そのアメリカが今期待しているのは、日本がアジアでイニシアティブを発揮して、GPSを全世界のスタンダードとして定着させていくこと。日本は今まで測位に関してアメリカにずっと頼りっぱなしであり、今後は頼るだけでなく、恩返しをしていかなければならないと思います。そういう意味でも、アメリカの期待には応えていく必要があると考えています。
―― 一般の方々からの応援も多いそうですね。
明神:JAXAの運用室には、みちびきに関する手づくりグッズや励ましの手紙、お守りなどがたくさん届いています。今まで注目されるのは打ち上げのときだけでしたが、運用段階になってもこれだけの反響や応援があることは前代未聞です。
―― 注目度が高くなり、職員の士気にもいい影響を与えているのでは?
寺田:昔は不具合を起こしてはいけない、失敗してはいけないというネガティブ回避の思考が強かったと思います。もちろん今もそれはあります。でもそれだけでなく、衛星からの信号が受信できたら皆さんに積極的に知らせよう、皆さんと喜びを分かち合おうといった、ポジティブな意識も芽生えています。
Last Section
―― では最後に今後の意気込みを教えてください。
明神:みちびきに対しては、色々と期待されている声を多方面から聞きます。私はみちびきの広報活動も担当しているので、まずは身近な目標として、みちびきからの測位信号が地上で受信でき、測位に使えるようになるまで、しっかりとPRしていきたいですね。
岸本:私は長い間QZSSに携わっているので、多少ひいき目なところもありますが、このシステムは筋もいいし、モノもいいし、実用化されれば、皆さんに喜んでもらえるシステムだと思います。子どもたちの将来のためにも、是が非でも実用化に漕ぎ着けたいですね。そのためにも、自分はこれからもがむしゃらになって、測位の精度向上に力を注ぎます!
宮本:自分が国民の一人としても使えるものなので、そうしたシステムに携わることができて幸せだなと思います。使う立場の方々から「いいね」といってもらえるものを、作っていきたいですね。
寺田:GCBが実用化されJAXAの手を離れたあとは、残念ながら実用段階まで行った衛星はありません。ほとんどが、一発限りのいわゆる技術開発衛星止まりです。ですから、QZSSは久しぶりにかつてのGCBを追いかけられる民生利用を目指した実用路線の衛星なのです。壁やハードルはありますが、2号機、3号機に打ち上げ、さらにはその先の実用システムを目指して、頑張っていきたいと思います。
―― QZSSが社会インフラになる日まで、頑張ってください。今後に期待しています!